ニャヌュパ・ガイモ・ガイモ

ンドペソド・ンゴイ・ンゴイ

ゼクシイでぶって


俺も勝手にゼクシイ買ってきて机の上に置いてくような彼女欲しい

結婚について本気出して考えてみた。

というのも、僕も8月を持って26歳になって、そろそろ結婚などを考える齢になったからで、特別に結婚相手がいるわけでもなく、この連休も3日中2日は1人で過ごし、残り1日は男友達とライブに行く程度の用事しかなくて、結婚相手どころか通常の交友関係すらまともに築けているのか少し危ういところがあります。
それはさておき、20代後半になると大学の同期や高校の同級生にも結婚する奴らが出てきます。いや、20代前半のうちから結婚する人はぽつぽついたんだけれども、それは散発的なもので、テレビゲームでいえばボスイベントみたいなものだったんだけれども、それがここにきて中ボスくらいの頻度で結婚イベントが発生するようになって、僕の中でだんだんと特別感が薄くなっています。あと、長い間付き合っていた恋人と別れて次に付き合った人とすぐ結婚!みたいなのを見ると、タイミングって大事なんだなー、と思うと同時に、そういった所謂『タイミング論』なんかに代表される、『よく言われていること』って本当なんだなー、と身を持って実感したりもします。まあ、結婚に限らずなんですけど。

ところで、ここまできてふと、結婚という制度自体について疑問を持ちました。というのも、歴史の本や小説なんかでも当たり前のように結婚というシステムがそこに存在しているんだけれども、結婚というシステムについてのコンセンサスが取られることはあんまりありません。というか見たことない。
ここで言いたいのは、形式が異なっているとかいう話じゃなくて(一夫一妻、一夫多妻など制度間の差について論じたいわけじゃない)、『結婚』という契約をどの地域でもしているということです。『結婚』システムが、どこかの一地域で発生して、それが伝播し多様化したのか、それとも様々な地域で自然発生的に結婚という契約をするようになったのかがとても不思議。家族単位で行動する動物や「つがい」を作る生き物なんか見て、単純に人間がつがいを作る様式を全部ひっくるめて結婚と呼んでいるだけといえばそれまでなんだけど、それはそれでなんか違う気もします。それに結婚っていう概念が基本的に『どちらかが死ぬまでは添い遂げる』契約であるような気がするところも非動物的ではないでしょうか(これは単に現代の結婚の形式にとらわれた考え方なのでしょうか)。他の動物に見られる『雄が養育に参加する』とはまた別の、もっと理性的な動きのような……。

例えばお酒なんかが世界中のたくさんの地域で個々に発生し個々に発展しただろうことは想像に難くないんだけれども(キチンと調べてはいないけれど、糖分があるものを放置しておけばアルコールくらいすぐできるし)、しかしそれが結婚っていうシステムとなると……。どういう歴史をたどってきたんだろうか。と疑問に思いました。誰か教えてくれ。あと誰か結婚してくれ。