「アッ、三重壁だ!」
修了旅行でトルコへ行ったときに友人の一人が言った。格安のバスツアーで、トルコの西半分を一週間で一回りする結構ハードなスケジュールだった。イスタンブールを回っている最中彼が言ったその言葉を聞いたとき、なんとなく悔しさと、それと同時にある種の感動を覚えた気がする。それは、「何かを知っていることが、世界を変える」ということに気付いたからだった。レンガの壁を見て、自分には思うところ一つ無かったのに、彼は突然叫びだして(本当に突然叫んだからみんなびっくりした)、何やら感動している。世界史の授業を寝て過ごした自分が歴史に興味を持ち始めたのも、この出来事があったからかもしれない。それからというもの、歴史小説や、資料集や、当時の文学作品をたくさん読むようになった。チュニジアやベトナムを一人で回って歴史の痕跡を見つけたとき、彼の叫んだ理由が本当の意味で解ったような気がした。
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先日、といってもだいぶ前、だいぶ前と言ってもそんなに前でも無いんだけど、新婚旅行でイタリアへ行った。イタリアにはパチモノのブランド品を売る黒人がそこら中に屯していて、妻は終始ビビりまくっていた。いろいろ見たいものがあって、でもツアー旅行だから(フリーで周るのは怖がりな妻に拒否された)見れたものも見れなかったものもたくさんあるんだけど、それでもコンスタンティヌスの凱旋門を見ることが出来た。
あいにく工事中だったから、左半分だけ。
この凱旋門はところどころ作られた年代が違う。当時ローマ帝国は衰退の一途を辿っており、多くの部分を転用材に頼らざるを得なかったのだ。後年のものほどレリーフが稚拙になっていることに寂しさを感じずにはいられない。しかし、それでいて、この威容である。
コンスタンティヌスの凱旋門のちょうど後ろには有名なコロッセオ、そして左手にはフォロ・ロマーノが控えており、まさに欧州史の王・長嶋といった場所である(秀逸な例え)。古代、コロッセオのような建築に使われたのがアーチという半円型の構造である。これが中世のゴシック建築になると尖頭アーチと呼ばれる先の尖ったものに変わる。
フォロ・ロマーノ。中央に見えるのはティトゥスの凱旋門。
コロッセオ。ドーム状のアーチが連なっている。
余談だけど、昔行ったベトナム中部のミソン遺跡は本来のアーチ構造ではなく、擬似アーチ構造とも呼ばれる迫り出しアーチが採用されている。アーチと違い内部空間は狭くなる。みっちりと擦り合わされたレンガにレリーフが掘られている。
迫り出しアーチ
チャンパ遺跡(チャン・キイ・フォン)(古い本だけど結構面白い)
ミソン遺跡。レンガの写真撮ったのにどっかいってしまった……。
現代のイタリアを回って、歴史の縦のつながりを感じながらそれらを見ることが出来るのはとても感慨深い。大きく美しい遺跡はそれだけで感動させてくれる。しかし、歴史を少しでもかじるとまた違った風景が見えてくる。実学でないものには、学ばなくては解らない、こういう意味があるんだろう。