ニャヌュパ・ガイモ・ガイモ

ンドペソド・ンゴイ・ンゴイ

エンパイアメーカー

 友人だった奴が情報商材屋になった。

 

 彼と出会ったのは大学生の頃で、だけどどんなふうに仲良くなったのかはすっかり忘れてしまった。すれ違えばそれなりに会話をしたし、他の友人と一緒に家で酒を飲んだりもした。就職した後、彼の結婚式の二次会に出席してそれきりだったので、まあそれが縁の切れ目だったんだろう。もう目にすることはないと思っていた。

 

 とても優秀で、要領が良く、そして面白い奴だった。どんな仕事をやらせても多分それなりにこなせてしまう地頭の良さと機転があった。ただ、いつも誰かに対して支配的であろうしていて、大学生の頃はいつも数名の手下みたいなのがくっついていた。手下にならなかった同期をひたすらにおちょくったり、先輩や教官にさえそんな態度を取ることもあった。

 ただ、学生時代の彼の傍若無人な振る舞いは、それ自体が彼の魅力の1つとなっていたし、傍観者はそれを許していた。私もその1人だったと思う。

 

 二度と目にすることはないだろうと思っていた彼をインターネット上で目にしたのは2年前で、まだいわゆる狭義の情報商材屋になる前だった。とある商売をして、さらにそれについてのコンサルティングをしていた。彼は優秀な人間だから、それなりに稼いでいたんだろう。久しぶりに彼に会ったという友人から聞いた話では、羽振りは良さそうだった。

 それから2年の間に、狭い界隈で彼はあっという間に有名になった。そして、狭い意味での情報商材屋になった。

 コンテンツを高額で売り、商材の値段を釣り上げたり、落としたり、twitterを炎上させたり、インフルエンサーと対談していた。大学生の頃みたいに手下を増やして、また、傍若無人に振る舞っていた。少なくとも限られたコミュニティの中で彼は一大ムーブメントを起こしていたし、多分、彼自身もそれを感じていた。

 しかし、彼はそのあと、情報商材屋として致命的なミスを犯してしまった。それが原因で、元々彼の魅力でもあり重大な欠点でもあった、支配的で横暴であるところが取り沙汰され、一時のブームが嘘だったみたいに、そのとき周りにいた人がいなくなった。

 私はそこに至るまでを、友人としてではなく、一ネットウォッチャーとして傍観していたような気がする。他人事で、それでいてつまらない事件だった。

 

 私自身、情報商材に悪い印象はあるものの、それを理屈で説明するのはとても難しいことのように思う。広い意味で言えば情報を何らかの形で売れば情報商材だし、ビジネス本もnoteもオンラインサロンも大差ないように思う。毒にも薬にもならないような本はいくらでもある。ただ、彼の売っていたものは、現代を上手いこと攻略する方法であって、知性ではなかった。理屈ではない理屈だけど、それが私にとっての線引きになっている。

 

 人生は知的であるべきで、そこには美しさと道理が不可欠だと思う。ただ、『人生とは』は人それぞれだろうし、正しく生きようとしていても、精神が病む程の仕打ちを受ければ、折れてしまうこともある。自身に対して正しくあろうとするけれど、常にそうであるとは言い切れないし、ごまかして、後悔しながら生きている気がする。

 だからこそ、端から道理を捨てた振る舞いに対してこんな感情を抱くんだろう。