ニャヌュパ・ガイモ・ガイモ

ンドペソド・ンゴイ・ンゴイ

出、出た〜、棒と棒を固定す奴〜

仕事中、名前の分からないものが結構頻繁に登場するんだけど、分からないけれど分からないならば分からないなりに表現しなければ相手に伝わらないので、「棒と棒を固定するやつ」とか、「パッチンして留めるやつ」とか言って持ってきてもらうんだけど(不思議なことにパートのおばちゃん達にはこれで大体伝わる)、結局、正式名称が分からない。このままでは困るので、インターネットで検索しようとしたけれど、名称が分からないから検索のしようがなく、各種メーカーサイトを嘗め尽くし、質問サイトを参照し、ようやく正式名称が判明していざ尋常に正式名称でおばちゃんに伝えたら逆に全然理解してもらえず、結局今日も「棒と棒を固定するやつ」は「棒と棒を固定するやつ」のまま。


こいつの名前は角ハンガー。


〜〜〜〜〜〜〜キリトリ〜〜〜〜〜〜〜〜


最近人事異動があって、室内のメンバーが四人中二人変わった。同期でも異動した人間が結構いるようだった。それと同時に、大学の同期の現況もいろいろ耳に入ってきて、友人の少ない自分の周りでもゆるやかな結婚ラッシュが始まっている。周りの環境はゆっくりとだけれども確実に変化している。いや、もちろん、学生時代だって、環境は変化していたし、むしろ自分を取り巻く人間が進学や就職によってドラスティックに変わるわけだから学生時代の方が変化に富んでいたはずなんだけど、あまりそれを意識することがなかった。
この年齢になって、より変化に敏感になったのは、多分、自分が、自分の知っている親の年齢に近づいてきたからだと思う。自分の最古の記憶は三歳のときで、このとき両親は三十二歳だった。僕は今年二十八歳になるから、あと五年で、自分の知りうる両親の一番若い姿と同じ年齢になる。
別に、自分の未来が容易に想像出来てそれが嫌だとか、あの若さで三人の子供を育てていた両親に感謝するとかそういうことではなくて(いや、感謝はしているんだけど)、ずっとテレビの向こう側にあるみたいだった、つまり現実味のないものだった、結婚とか子供とか、そういったイベントが、自分の身の回りにも迫ってきていることに、自分は驚いているような気がする。なんだかろくに練習もしていないまま舞台に上がっている気分でもある。果たして自分は上手に踊ることが出来るんだろうか。踊る機会があるのならば。