ニャヌュパ・ガイモ・ガイモ

ンドペソド・ンゴイ・ンゴイ

Baby I Love You

 子供が産まれた。
 午後10時頃から陣痛が始まり、結局産まれたのは翌日の午後6時。かなりの難産だった。陣痛が本格的に強まってきてから、妻はずっと腰が痛いと言い続け、それでもお腹の中の子供に向かって懸命に話しかけていた。
 立会い出産だったんだけど、それまでの時間が長かったこともあって、娩出のときは本当に嬉しかったし、妻にも健やかな表情が戻ってきていて安心をした。月並みな言い方になるけど、出産は神秘だし、過酷だった。
 我が家の第一子となる長女は新生児にも関わらずパッチリ二重で、生後30分にして既に僕よりも目が大きかった。




こんなことやってた奴が子持ちですよ



 出産した病院では午後3時〜8時が面会時間とされているんだけど、当日だけは夜中も居続けてよく(出産後の介助のため)、妻に付き添って結局夜の11時くらいまで病室にいた。
 なんだか夢見心地で、帰宅途中コンビニに寄ったんだけど、ついつい『俺、さっき子供産まれたンすよ〜』と、店員に向かって宣伝したくなってしまって、なんとか留まったんだけど、それでも誰かに、いや、誰にでもこのことを報告したくて、Facebookに一枚だけ写真をアップロードした。子供が産まれるとまるで、世界中が自分たちを祝福してくれているような錯覚に陥ることが解った。
 もちろんそれは間違っていて、自分たちの間に産まれたものは、世界中で同じ日に産まれているもののうちのたった一人に過ぎないし、身近な人にとっても、無関係な人よりかは距離が近いから多少関心があるくらいのものに過ぎない。だから、小さなサークルの中の些細な喜びに過ぎないこのことを、理性を持って、小さなサークルの中だけで紙風船みたいに大事にしなくてはならない。しなくてはならないんだけど、翌朝台風一過の青空が妙に青く見えて『──空が……綺麗だな……』と独り言をつぶやいてしまい、まだあんまり魔法が解けていないことが解った。


 そんな高揚した気分でいるものだから、今、名付けに苦労している。
 名付けの段になって解ったことは、キラキラネームを付けてしまう人の気持ちだった。
 名付けに関しては妻と一緒に産前から苦労して考えていて、読みやすくて、今風だけどキラキラ過ぎない(と、自分達は信じている)、そんな名前になんとなく決まっていた。決まっていたんだけど、いざお腹の中から出てきたものを目の当たりにすると、こんなにも小さくて儚い生き物に人間の名前を付けていいものかと思ってしまった。一生懸命考えた名前もなんだか似つかわしくなくて、その場の感情だけに従うのなら、突拍子もない、ぬいぐるみやペットと同じ名前の方がふさわしいように思えた。
 だから、今話題になっているようなキラキラネームを付けてしまう人も、子の未来の姿を想像しないという浅はかさはあるにしろ、その場の感情だけならばむしろ共感できると思えた。もちろん人はぬいぐるみでもペットでもないのだから、人としての名前を付けなくてはならない。未来を想像しなくてはならない。理性を持って。