ニャヌュパ・ガイモ・ガイモ

ンドペソド・ンゴイ・ンゴイ

勧酒

 友人が亡くなった。32歳だった。

 

 彼とは友人だったと思う。「だったと思う」というのは、最後に会ったのが1年前で、その前がさらに2年前。その前がさらに3年前くらいで、それほど頻繁に会っていなかったからだ。でも、友人かそうでないかは、どれくらいの頻度で会うかではないと思う。私にとっては、わざわざ会おうとして会うかどうかの方が大切だし、そういう意味では彼は紛れもなく友人だった。彼が同じ気持ちでいてくれたかは分からない。

 

 彼はとても酒が好きだった。しかし、あまり良い飲み方をしなかった。酔いつぶれて路上で寝ていることは日常茶飯事だったし、階段から転げ落ちたり、歯を欠かせたりしていた。

 一度、彼と共通の友人と3人で、ヒップホップのライブに行った。ヒップホップにもいろんなジャンルがあって、彼とは細かいところで趣味が合わなかったけど、ライブの圧力が全部を無理やり良い方向に持って行ってくれたような覚えがある。ともかく、3人とも異様に楽しくなってしまい、二次会と称して、千種区にある和民で飲み明かした。3人ともおかしなテンションで酒を煽って、ゲラゲラと笑いあった。朝日を迎えるころには、共通の友人は泡を吹いて倒れていたし、件の彼も潰れて、揺らしても叩いても動かなくなっていた。メチャクチャで、楽しくて、人生のハイライトみたいだった。でも、彼にとってはどうだったんだろうかと、今になって思う。あれが彼にとっての当たり前なのだとしたら。

 彼に近しい人ならば誰でも、彼はロクな死に方をしないと思ったはずだったし、事実そうなった。飲酒した後での、海での事故死だった。

 

 少しだけ小説も読んだ。同じく酒飲みで作家の中島らもの「今夜すべてのバーで」が好きだったと聞いた。私も彼の影響で一度読んだけど、酒飲みの気持ちは理解できなかった。中島らもは酒を飲んだ後、階段から転げ落ちて亡くなった。

 感受性が強く、いつもなにがしか考えていたし、彼自身の中で彼は哲学めいていた。頭も良かったし、まともな人生を歩めばそれなりの人物になっていたはずだった。だけど、彼はそうはならなかった。大学院を修了した後、彼をなんとかまともな仕事に就かせて、まともな人生を歩ませようとした人間はたくさんいたし、それだけの人望はあった。

 彼はいつも真に迫った語り方をするからこちらも真剣になるし、それでいてこちらの話もよく聞いてくれて、無碍に否定したりしないから、彼はとても話しやすかった。だから交友関係は広かったし、年上から年下まで本当にいろんな人間に好かれていた。それに、いつも無茶な生き方をしているから、見ていて楽しかった。

 

 だけど、それだけだった。

 

 彼は目標を見失っていたと思う。

 世の中の多くの人間にとって、目標や夢を持つことは難しい。飲食店を経営したいとか、研究者になって名を残したいだとか、具体的な夢を持つのは、それ自体が難しくて、誰しもできるわけではない。それを叶えるためのプロセスを組むことはもっと難しいし、実現することはさらに。

 多くの人は、なんとなく仕事に就いて、よく分からない課題を与えられて、分からないままに必死になってこなすしかない。だけどそのうちに、自分の成した仕事のうちの何かが周りから評価されるようになって、自分が何者かになったように思えるようになる。それを繰り返すうちにようやく、夢が見えてくるような気がする。

 だけど、きっと彼はそれを知ることはなかった。彼は何者かになりたかったのかもしれないけれど、だからといって、何かをやりたいような素振りが無かった。私には、彼が無茶な生き方をして楽しんでいる様子しか見ることができなかった。それがとても悔しいし、悲しい。

 亡くなった人の心の中を想像することは難しいし、野暮かもしれない。友人として、彼を救うことができなかったかとも考えるし、やはり難しかっただろうなとも思う。友人とは、それをしないから友人なんだろう。明日は久しぶりに飲もうかと思う。だけど、亡くなった人は、もう、喜びも悲しみもしない。