ニャヌュパ・ガイモ・ガイモ

ンドペソド・ンゴイ・ンゴイ

FACE

 妻が結構バタ臭い顔をしていて、僕は醤油系なんだけどネチャっとした顔貌をしているから、子供の顔はネッチャリバター醤油顔になってしまうんじゃないかと心配をしていたんだけど、今のところ良い具合に妻に似てくれている(嬉しい)。抱き癖がついてしまったのか、目を覚ませばニャアニャアと泣いて僕達夫婦をサボらせてくれない。



最近こんなんばっか聴いてる


 リビングで童謡を流しながら子供を抱いている自分のことを客観視すると、何か悪い冗談のようにしか思えない。親の自覚が足りていないとかそういうことではなくて、自分が親の役割をしていることが、どこか演技めいた物に思えるからかもしれない。
 以前、大学時代の友人に子供が生まれたというので、正月に会いに行ったことがあった。年始の大曽根で家族連れとお茶を飲めるのはイオンくらいしかなくて、そこのフードコートでベビーカーを引く友人夫婦と落ち合った。彼が父親としての役割を全うしているかは知らない。少なくとも僕の見ている前では父親らしく、ベビーカーを揺すって子供をあやしたりしていた。けれど、大学生の頃から知っている友人が「The 家族」みたいな格好をしているのは滑稽で、そして微笑ましかった。
 男性は誰でも、子供に向かうときは父親の仮面を被っているだけなんじゃないかと最近は思う。少なくとも僕は友人に対するときと子供に対するときでは全然違う自分になっている。僕の父は父親らしいことをあまりしてくれなかった人だったけど、それでも僕に対するときに父親の仮面を脱ぐことはなかった。そしてこれからもそうだと思う。
 親になったことは限りなく幸せだけど、性質は悪夢に近い。居心地は悪くない。そして、じきに夢のほうが現実になるのかもしれない。


悪夢ちゃん