ニャヌュパ・ガイモ・ガイモ

ンドペソド・ンゴイ・ンゴイ

Fight For Your Right


結婚するということは1つの新しい社会を作ることだけど、社会を作るとなると当然難しい問題が生まれてくる。

自分は趣味が多くて、といってもそれほど活動的ではないから、読書や漫画みたいなインドア趣味、競馬みたいなギャンブル、あとは外に出るとしてもロックバンドやアイドルのライブへ行くくらいなんだけど、それでも結婚するとなると趣味は結構制限されてきて、中でも特に漫画、ギャンブル、アイドルは妻のアラートに引っ掛かるようだった。
鈍感な自分でもさすがにギャンブルやアイドルが女の子に嫌われるくらいは理解出来たので、ギャンブルもアイドルも控えめにすることにした。時折出てくる禁断症状を抑えるために2012年ももいろクローバーZ紅白歌合戦初出場の映像を見返しては「ホンマに良かったなあ!!ホンマに良かった!!」と大声で叫びながら涙を流したりしているんだけど、よく考えたらこの行動自体結構ヤバかった。

ところで一番理解に苦しんだのが、漫画を嫌うところだった。
もちろんしっかりとした家庭で育った人が漫画を読まないっていうのは想像に難くなかったのだけれども、それでも、他人の趣味を制限しようとすることはあまり理解出来なくて、人様に迷惑をかけていなければ大体のモノを許せてしまう自分にとってこれは衝撃だった。何度もお願いを繰り返して、ようやく漫画については決裁が下りた。


マジでこういう顔になったりする。


たしか、これは誰かに、どこかの酒の席で酒の勢いで聞いたことだ。曰く、「人間が三人以上いれば民主主義が機能する」。つまり、人が三人以上いれば多数決が機能するから、民主主義が成されるということだけど、これは裏を返せば「二人だけの社会では民主主義は機能しない」ということでもある。
夫婦で何かを決めるときに、常識は役には立たない。二人が納得してしまえば非常識は常識になるし、二人が納得しなければ常識は非常識になる。意見が割れたところでどう頑張っても1:1にしかならないのだから、常識なんてものは働かない。そして、たった半年でも、妻を相手に常識が機能しないことはたくさんあったし、自分だって常識に外れたことを少なからず認めてもらってきたと思う。ちなみにインターネットで調べて「みんなこう言ってるから俺の意見は常識!!」って言うのはとことん悪手。これ、大事ね。

パスはメ欄。お礼は三行以上。璃樹無で結合してください。

結婚以来、エロサイトを巡回する時間がなく本当にエロサイトを見ることが少なくなって、今は本当にエロサイトを見ないし興味もないし見ようとも思わないんだけど、最近故あってエロサイトを見る機会があった。

近頃のアダルトサイトやストレージサイトには“CAPTCHA”というシステムが備えられている。

CAPTCHA”とは、文字や数式が描かれた画像を利用した、【人】と【人でない者】を区別するシステムである。コンピュータは上の画像に描かれているような歪んだ文字を認識できない。そこで、画像に描かれた文字(上の画像の場合「HTKEHS」)を入力させ、人とコンピュータを区別する。サーバへの負荷を軽減するためにソフトを使った自動ダウンロードやスパムを弾くシステムである。無論、コンピュータの側も黙っておらず、少々歪んだ文字くらいなら最近は自動で解読してしまうので、CAPTCHAの方もどんどん巧妙になっている。すさまじいノイズやふにゃふにゃの文字、ちょっと難しい数式が登場するので、ちょっとイヤラシイ動画をちょっとダウンロードするだけでも一苦労である。しかし、【人】と【人でない者】を区別する仕組み、というのは少し面白いと思った。

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そんな事情もあってCAPTCHAのことを調べていたら、こんな記事を見つけた。

"The Birth of a Language"

ニカラグア手話とはニカラグアの聾唖の子供達の間で発展した手話による言語である。このニカラグア手話はかなり特殊な環境下で発生した言語で、詳細はリンク先を読んでもらうとして、既存の言語が無い状況に集められた聾唖の子供達が独自に言葉を「発明」していったというところがとても面白い。さらに面白いことに、このニカラグア手話が使われたコミュニティにおいては、年長者よりも年少者の方が複雑な表現をするようで、手話が継承され、さらに進化していることが示されている。

言語的ビッグ・バン

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こういった記事をいくつか読むうちに少し興味が出てきたので、ちょっとだけ本を読んだ。

ヒトはいかにしてことばを獲得したか (認知科学のフロンティア)

ヒトはいかにしてことばを獲得したか (認知科学のフロンティア)

説明が少ない部分もあって入門書とするには難しいし、専門書としては掘り下げが少ないような気もしたけど、それでも興味深い内容がたくさんあった。特に、手話を母語とする人の脳の動きなどについての話は、上記の話と直接結びつくことはなかったけど、面白いことが多かった。しかし、人が言葉をいかにして獲得していったのか、という分野はまだまだ発展途上のようで、開拓の余地がありそうだ。解る日はくるのだろうか。

なんか他記事の切り貼りばっかだけど。

○○に行ってきましたクッキーみたいなの、日持ちするし個数あるからすげえ便利だけどああいうのは職場向けだよね

こないだ土日を使って永平寺まで行ってきた。


めっちゃホリデイ。

永平寺は深い山の中にあって、自分達は四人連れで軽自動車に乗り合って山道を縫っていったんだけども、その日は結構雨が降っていて、少し運転するのが怖かった。坂道で満員の軽自動車をブン回したらタコメーターがちぎれるくらい回ってくれるんじゃないかと期待したんだけど、そんなことは全くなかった。

永平寺は宗教的な厳かさをはらみつつも、観光地として大いに栄え、賑わっていて、なかなか面白かった。何より、山あいの集落の中にあれだけの大きな寺があること自体に胸が踊った。東京タワーも、奈良の大仏も、なんだってそうだけど、やっぱり巨大な物っていうのはそれだけで心惹かれるものがある。宗教も歴史も大好きだけれど、人が巨大な物を一目見て思う原始的な感動は否定のしようがないと感じた。
あと、一応というか旅をより楽しむためというか「道元入門」という本を読んで、ひと通り道元の生涯と思想について勉強していたんだけど(永平寺曹洞宗の総本山で、道元曹洞宗の開祖である)、曹洞宗の思想と永平寺という建築物の重大性とが自分の中で結びつかず、そういう部分では不勉強だったと反省する限り。もうちょっと永平寺そのものについて調べて来ればよかったかな、と思った。
お参りしたあと、土産屋で餅を食べたら結構美味しかった。


御朱印。おっさんのような趣味になっていく。


帰り道、永平寺から鯖江の方面へと向かった。鯖江の辺りは漆器の生産が盛んで、越前漆器という名前で有名らしい(よく知らない)。棚田を貫く坂道を下る途中、車窓から見える風景がとてものどかで、綺麗だった。
自分にとっての田舎は、輪中の中で平たく広がっている田んぼだったり、蓮の葉が群れている水田なのだけれども、この地域に住む人たちにとっての田舎はこの棚田とすぐ後ろに控える山々であって、人がぼんやりと抱えて共通認識としているはずの「田舎」という言葉には、実は少しずつ違いがあるんだろうなあと思った。いや、知らんけど。

出、出た〜、棒と棒を固定す奴〜

仕事中、名前の分からないものが結構頻繁に登場するんだけど、分からないけれど分からないならば分からないなりに表現しなければ相手に伝わらないので、「棒と棒を固定するやつ」とか、「パッチンして留めるやつ」とか言って持ってきてもらうんだけど(不思議なことにパートのおばちゃん達にはこれで大体伝わる)、結局、正式名称が分からない。このままでは困るので、インターネットで検索しようとしたけれど、名称が分からないから検索のしようがなく、各種メーカーサイトを嘗め尽くし、質問サイトを参照し、ようやく正式名称が判明していざ尋常に正式名称でおばちゃんに伝えたら逆に全然理解してもらえず、結局今日も「棒と棒を固定するやつ」は「棒と棒を固定するやつ」のまま。


こいつの名前は角ハンガー。


〜〜〜〜〜〜〜キリトリ〜〜〜〜〜〜〜〜


最近人事異動があって、室内のメンバーが四人中二人変わった。同期でも異動した人間が結構いるようだった。それと同時に、大学の同期の現況もいろいろ耳に入ってきて、友人の少ない自分の周りでもゆるやかな結婚ラッシュが始まっている。周りの環境はゆっくりとだけれども確実に変化している。いや、もちろん、学生時代だって、環境は変化していたし、むしろ自分を取り巻く人間が進学や就職によってドラスティックに変わるわけだから学生時代の方が変化に富んでいたはずなんだけど、あまりそれを意識することがなかった。
この年齢になって、より変化に敏感になったのは、多分、自分が、自分の知っている親の年齢に近づいてきたからだと思う。自分の最古の記憶は三歳のときで、このとき両親は三十二歳だった。僕は今年二十八歳になるから、あと五年で、自分の知りうる両親の一番若い姿と同じ年齢になる。
別に、自分の未来が容易に想像出来てそれが嫌だとか、あの若さで三人の子供を育てていた両親に感謝するとかそういうことではなくて(いや、感謝はしているんだけど)、ずっとテレビの向こう側にあるみたいだった、つまり現実味のないものだった、結婚とか子供とか、そういったイベントが、自分の身の回りにも迫ってきていることに、自分は驚いているような気がする。なんだかろくに練習もしていないまま舞台に上がっている気分でもある。果たして自分は上手に踊ることが出来るんだろうか。踊る機会があるのならば。

【あるある】日替わりスープが大体ワカメとモヤシのあんまり美味しくないやつ


キムタクヘアーだからこいつはイケメン。

晩メシ作るのが億劫だったので仕事帰りにファミレスに入った。散々ダイエット宣言をしながら暴食を繰り返しているので、近頃、『ダイエット中なのに体重が増える』という不思議現象が起きているのだけれども(原因不明)、押し寄せる肉欲(肉を摂取したいという慾望、の意)に抗うことが出来ず、さながら破戒僧の心持ちでハンバーグセットを注文。ドリンクバーを注文するとピーチゼリーがオマケに付いてくる!とプレゼンテーションを受けたので、「それじゃあそれもお願いしまふゅ!フヒヒ!」と舌をもつれさせながら答えると、女店員はにこやかに注文を繰り返してデシャップへ戻っていった。小太りのアイドルオタクでも金さえ払えば優しくしてもらえる天国が、そこにはある。(錦三丁目にもある)。

伸びきったワカメと萎びたモヤシの入ったスープを口にしながら店内を見渡した。向かいの席では女子高生が姦しくしている。斜向かいのテーブルには参考書を広げた若い男性が一人。「ファミリーレストランはファミリーレスだ」と誰かが言っていたけど、その通りだった。ほとんどの客は家族連れでは無かったし、一人客もたくさんいて、随分前からファミリーレストランはもはや家族の物ではないのだろうと思った。かくいう自分も一人、運ばれてきたハンバーグを食べながら、「ライス大盛りにしなかったからセーフ、ライス大盛りにしなかったからセーフ」と呪文のように繰り返した。セーフセーフ繰り返す割に口にしているオレンジジュースは3杯目だった。でもジュースはセーフ。ビタミンだからセーフ。植物だからセーフ。

ドリンクバーで4杯目のオレンジジュースを汲み、自分の席に戻ろうとすると、この時間の「ファミリーレストランには珍しく」、家族連れが食事をしていた。うんうん、お子様ランチは夢があるね、子供にとっての小宇宙に等しいね、と穏やかに眺めていると、ハンバーグを頬張る少年と目があった。一人の自分と点対称の位置にあるような幸せの縮図を見ているようで、こちらまで幸せな気分になれた。

ファミリーレストランのあの絶妙なダサいデザインと、多少の喧騒が心地よくて、結構頻繁に足を運ぶようになった。全ての中流を受け入れてくれる懐の広さがそこにはあるような気がする。ハンバーグはそんなに美味しくなかった。ピーチゼリーは食べ辛かった。バイクを走らせると少し涼しかった。あと多分最近また太ったでしゅ。フヒヒ。

ワールズエンド・ガールフレンド


”友達以上恋人未満”で画像検索したらエロゲが引っ掛かってしかも9800円もしてクソ笑った。

「ガールフレンド」という言葉の響きが好きで、これはポップさやらキッチュさやら、はたまた性衝動を隠そうとしつつ隠しきれていない浅薄さやらが綯交ぜになった語感のせいだと思うんだけれども、日本語における「ガールフレンド」の立ち位置が、なんだか凄く曖昧な場所にあることもその理由の一つであると思う。

例えば、恋人関係にある女性のことをガールフレンドとする人もいれば、友達以上恋人未満の女性のことを指す人もいれば、単純に女友達のことを指す人もいる。ごく個人的な印象を述べさせてもらうと、恋人のことをガールフレンドと指す人には年寄りが多い気がする。また、若い世代になるほど、「恋人未満」〜「付き合い始め」くらいの女性をイメージするのではないかと思う(そもそもガールフレンドという単語を滅多に使わない、という指摘は置いておいて)。3年付き合った恋人には「ガールフレンド」は似つかわしくない。『ガールフレンド感』がない。しかし、どの世代でも単なる女友達という意味でガールフレンドという単語を使うことはあまりなさそうである。ここまで書いてようやく、ガールフレンドという単語の意味には、『お付き合い前後にありがちな期待感(ドキドキソワソワ感)』が内包されていることに気付いた。そう考えると随分青臭い言葉だなあ。


英語が不得手なのが歯痒いのだけれども、英語における"girlfriend"の辞書的な意味は次の通りである。

[1]ガールフレンド、女友達◆【注意】成人男性が、女友達の意味で用いる場合にはfriendを使う方が誤解を招かない
[2]〔男性が交際する〕女性の恋人、彼女

こうして見ると、輸入元の"girlfriend"自体も結構曖昧な枠組の単語のようなんだけれど、カタカナ語のガールフレンドのように恋人未満という意味はなさそうである。

また、こういう曖昧だけど特別感を持った単語は当然歌のタイトルになりやすくて、特に岡村靖幸がこういう単語好きそうだから、この文章を書き始めたときに「岡村靖幸は『ガールフレンド』という曲を歌っている!」と勝手に思い込んでいたんだけれども、調べてみたら一つも無かった。aikoのはアレか。ボーイフレンドか。いいよね。テトラポット登りてえわ。


改めて聞くとカルアミルクは良い曲である



アヴリル・ラヴィーンのgirlfriendのPVは改めて観るとヒドイ内容である。


ヤリチンは地獄へ落ちろよな!

内容がNe-Yo


こんな私で本当にごめんなさい


下品な話で申し訳ないのですが、普段あまり観ることのないアダルトビデオなるものを普段あまり観ないけれど偶然にも観る機会がありまして、普段あまり観ないけれど不承不承観ていたらオープニングのテーマが凄くファンキーで、

『うおーっ!キター!New mastersoundsっぽい!もしくはthe sound stylisticsっぽい!メッチャ格好ええ!』

とか思っていたら、画面の中では半分くらい裸の状態の浜崎りおがバスに乗り込んでくるとかいうワケのワカランシーンに移行してて、もうなんか性欲と好奇心がケンカしだして大変だったのがこの間の火曜日の0時くらい。本当にごめんなさい。


でもファンクはカッコイイよね。


来月は8ottoのライブがあるので楽しみです。あー久しぶりの日記なのにこんな内容。。。内容が無いよう。。。